遊園地

小学校に入る前の娘と遊園地に行った
入り口には看板が貼ってあって、楽しんでねと書かれていた
まだ字が読めるようになったばかりの娘が、まじまじとその看板をみていて微笑ましかった

ジェットコースター、観覧車、コーヒーカップ、と色んな乗り物に乗ったが、
しかしどうにも娘はそわそわして楽しんでいる様子がない
俺はせっかく遊園地に来たんだから入り口に書いてあるようにしないと駄目だぞ、と言うと
やたら暗い顔になる まだ遊園地は早かったのかもしれない

仕方ないから帰ることにした
そして娘はその日自殺した
俺は今でも自分を許せない

共感

「かわいいは作れる」という言葉を、私はうそだとは思わない。たしかに、かわいいは作れる。それは化粧や服装や表情の技術である。もちろん「かっこいいは作れる」と言い換えてもいい。かわいさにしろ、かっこよさにしろ、そこにはパターンがあり、自覚的な努力によって作り出せる。これは単純な事実である。

問題は、それがどこまでいっても「一般性」をこえないことにある。一般性はそもそものはじめから「みんな」で共有するために用意されている。それは個人的な関係のためには用意されていない。

一般性を極めていったときに生まれるのは、「誰にも文句の付けようのない魅力」であり、「大勢の人間にちやほやされること」であり、そのとき人は大量の好意的な視線にさらされながら、深い孤独に沈む。そこには「特別な関係」が何もないからである。そのことを知らなければ、長く苦しい努力のはてに絶叫することになる。

「自分がほしかったのは、こんなものじゃない!」

一般性と特別性のちがいを見失ったときに悲劇は生まれる。特別な誰かがほしくて、ただ一人の特別な誰かに認めてほしくて、一般的な価値観をもとに自分を磨きつづける。それは外見を磨くことかもしれない。年収や肩書にこだわることかもしれない。だが、その先に「特別な関係」など待っていないのだ。

この世には二種類の「好き」があると言ってもいい。一般性の先に生まれる「好き」が「誰からも好かれるあなたが好き」だとするならば、特別な関係を生み出すのは「私だけが知っているあなたの好きなところ」だろう。

aikoへと向かう強い流れを感じる。激しい渦が文章を飲み込もうとしており、その渦の中心には常にaikoがいるのだ。一つ目の段落をまたいだ時点ですでに私はaikoのことを考えていた。抵抗することはできない。飲み込まれるしかない。私はaikoの話をしなければならない。

量がケタ違い...

先日ぷらっと立ち寄ったラーメン屋

地球規模で考えろソラ

ここのラーメンの量はすごい!

なんと100円プラスで麺はいくらでも増やせると言うシステム!


今回挑戦した量は

キリのいい1キロ。

店員さんのニンニク入れますかのコールの後に僕は野菜ニンニクましまし油少なめでコール返し


約1時間かけて

ラーメンを食べました。

大食いチャレンジしたい方はおすすめなので検索していってみて下さい。

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ガイナーレ鳥取

お題「#応援しているチーム

僕の応援しているチームはJ3に所属しているガイナーレ鳥取だ!


このチームにはJFLの時代から

ホームはもちろんアウェイの試合にも足を運び応援していました。


今季こそは優勝して

J2に上がってほしいですね〜